最新の医療設備を導入。岩見沢の歯科・歯医者・小児矯正・インプラントなら当院へ。

メールでのお問い合わせ

初めての方はこちら

0126-24-8418


【診療時間】平日9:00~19:00まで(土曜は9:00~17:00まで)【休診】月、日、祝

第12回はとなび「私の考えるイメージ戦略」

      2025/07/12

"はとなび" とは?https://hatogaoka-dc.jp/はとなび

講師紹介

ご多忙の中“はとなび”第12回の講師を引き受けてくださったのは、 そらまめカンパニー 代表取締役の江本勝典氏です。
地域のゴミ処理業界を牽引しながら、エスコンフィールドへのスポンサーなど斬新な取り組みで注目されている そらまめカンパニー。
一見縁遠いと思われがちな業種が、いかに地域の希望となり企業ブランドを磨き続けているのか、代表の江本氏に「 私の考えるイメージ戦略」というテーマでご講演いただきました。
この記事ではその一部をご紹介させていただきます。

 

江本氏の半生

■ 破天荒な青春と「社会との接続」

江本氏の原点は、新聞奨学生として親元を離れ、自由気ままな一人暮らしを始めたことにあります。誰にも干渉されない生活は心地よく、その居心地の良さから、次第に社会の枠から外れていくことになります。

進学した専門学校は2年連続で中退。コンピューターの勉強よりも、東京という街の誘惑に惹かれ、足が遠のいていきました。その後は数多くのアルバイトを転々とし、やがて日雇い労働の世界へと身を投じます。

毎朝、仕事を求める人々が集まり、その日ごとに条件の良い現場へと派遣される「日雇い人夫(にんぷ)」という独特な仕組みのなかで働きながら、稼いだ1万円をその日のうちにパチンコで使い果たす日々。「自分の力だけで生きている」と錯覚しながら、社会との接続を持たずに過ごす、破天荒な青春時代を送っていました。

 

■ 人生の転機:事故と“恩人”の言葉

ある日、バイクで転倒し、大怪我を負い、病院に搬送されました。
足の骨折によって仕事ができなくなり、「その日暮らし」がいかに不安定で脆いかを思い知らされます。

そんな絶望のなかで転機となったのは、これまで見下していた日雇い仲間の年上男性の行動でした。江本氏の代わりに親へ連絡をしてくれたその人の姿に、胸を打たれます。

「年上の人間には、見た目だけではわからない“力”と“経験”がある」——
その気づきが、江本氏の人生を大きく変えるきっかけとなりました。

 

■ 家族と和解、そして会社へ

江本氏は3年間音信不通だった両親とついに和解の時を迎えます。そこから、叔父が継いでいた祖父の会社「空知環境総合株式会社」——地域の「汲み取り業」を担う企業——へと入社することになりました。

入社後は、パッカー車に乗ってのごみ収集業務。地域の暮らしを支える大切な仕事でありながら、日々ほとんど変化のない単調な業務が続く毎日。次第に、「このままでいいのか?」という不安が江本氏の中に芽生えはじめます。

将来の自分を思い描けない日々の中で、心の奥底に眠っていた“仕事への熱”が、静かに疼き始めた瞬間でした。

 

ゴミ回収作業員から代表取締役になるまで

①ゴミ回収現場での気づき

ごみ回収業務に従事し、初めは「楽な仕事」と感じていたそうです。決められたルートを回り、決められた業務をこなす毎日。深く考えずとも、日々は過ぎていきました。
しかし、月日が経つにつれ、「このままで、本当にいいのか?」—— そんな漠然とした不安と焦りが、次第に大きくなっていったのです。

江本氏はそこで、大切なことに気づきます。
「変化や課題のない環境では、人は成長しない」
何気ない日常のなかにある違和感こそが、成長への第一歩である——そんな気づきを与えてくれたのが、静かで単調な現場の風景だったのです。

 


②営業への転向と学び

24歳のとき、江本氏は未経験ながら営業職へ転向します。現場とはまったく異なる世界。法律や専門的な知識が求められるなかで、最初は毎日のように叱責を受け、悔しい思いを重ねていきました。

しかし江本氏は、そこで立ち止まりませんでした。営業車の後部座席には常に本を積み込み、空いた時間に読み込んで必死に勉強を重ねる日々。地道な努力を2年間続けた結果、いつしか「北海道で一番詳しい若手」と周囲から認められるまでに成長を遂げました。

「壁がある日々こそが、人を育てる」
江本氏がこの言葉の本当の意味を知ったのは、まさにこの時期。逃げずに向き合い続けた経験が、自信と実力へとつながっていったのです。

 

■ 会社の背景

江本氏が働く 空知環境総合株式会社 は、昭和29年に創業。祖父が立ち上げた「汲み取り業」から出発し、地域に根ざした生活インフラを担い続けてきました。

昭和27〜29年は、全国的にごみ収集会社が次々と設立された時期。これは、戦後の復興が進み、市町村が本格的に機能しはじめたことに起因します。当時、過酷な汲み取り作業は公務員から敬遠され、民間への外注化が進展。その流れの中で、江本氏の祖父もまた、地域に必要とされる役割を担うべく会社を立ち上げました。

このような清掃事業は、「すべての人に最低限の生活保障を」という ユニバーサルサービスシビルミニマム に基づくもので、どんな地域であっても提供が求められる、極めて公共性の高い仕事です。ごみ収集はその象徴とも言えるインフラです。

昭和50年代に入り、下水道の急速な普及により汲み取り業は次第に衰退。しかし、国は「強徳法(下水道整備等の長期法)」を制定し、これまで地域を支えてきた業者たちに新たな役割を与えるよう、市町村に要請しました。

こうして、江本氏の会社もまた、かつては公務員が担っていた岩見沢市のごみ収集業務を、もう一社とともに引き受けることとなったのです。

“生活を支える”という使命を、時代の変化に合わせてかたちを変えながら果たし続けている会社——それが空知環境総合株式会社です。

 

■ 経営者として大切なこと

それは、「時代の流れを受け止め、自社の存在価値を再定義し続けること」
法改正、社会の変化、インフラの整備といった外部環境の変化に柔軟に対応しながら、空知環境総合株式会社は一つの事業に固執することなく、地域社会のニーズに応じてその姿を変えてきました。

重要なのは、「昔からやっているから続ける」のではなく、「今、社会に求められているか」を問い続けること。
必要とされる役割を見極め、“戦略的に進化”していくことが、これからの経営に求められる姿勢だと語ります。

そしてこの考え方は、次に紹介する江本氏の本題——「イメージ戦略」の核心にもつながっていきます。

 

③ 経営危機と「継承」の決断

平成10年以降、好景気のなか、当時の社長は無計画な設備投資や支出を繰り返し、会社は資金ショートの危機に陥ります。税務対策の甘さも重なり、多額の納税義務が発生。一時は長者番付に名前が掲載されてしまい、銀行や営業マンからの標的となるほどでした。

そんな中、平成16年。突然、「俺は癌だから、会社に命をかける気はない」と一言残し、当時の社長が辞任。
そして、銀行の支店長が江本氏に詰め寄ります。

「お前が社長をやるんだろ?」

戸惑いながらも拒否の姿勢を見せた江本氏に対し、支店長は声を荒げて言い放ちます。

「馬鹿野郎!!我が銀行が、江本勝典が社長やったら1億でも2億でもいくらでも出すんだ!!」

その言葉に、江本氏の心は大きく動かされました。
「ここまで言ってくれる人がいるなら——」
熱意と信頼を背に、ついに社長就任を決意します。

銀行の担当者すら本気で背中を押すほど、江本氏はすでに“信頼される人間”だったのです。その信頼が、会社を救う覚悟へと変わった瞬間でした。

 

江本勝典社長の誕生と戦略

■ 再建のためにできることは全てやる

社長に就任した江本氏が最初に取り組んだのは、徹底したスリム化でした。
かつて80人いた社員を20人まで削減し、事務所を閉鎖。保有していた車両や設備も手放し、会社の身の丈に合った経営体制へと立て直しを図りました。

しかし江本氏の再建策は、単なる「削減」だけにとどまりません。解雇せざるを得なかった社員の再就職先を確保するため、自ら人材派遣会社を立ち上げ、仕事を失った仲間たちに新たな道を用意しました。

さらに、経営リスクを最小限に抑えるために、事業を分社化し、資産を分散。一族の生活や信用を守るため、リスクマネジメントを徹底して実行します。

ギリギリの状態ながらも倒産だけは避け、会社は再建への道を歩みはじめました。
「やれることはすべてやる」——その覚悟と行動力が、会社の命をつなぎ止めたのです。

 

■ 地域との信頼構築の課題に直面

事業の立て直しに奔走するなか、江本氏は思わぬ壁に直面します。
それは、地域住民との信頼関係でした。

あるとき、産業廃棄物として扱っていた石膏ボードの処理過程で硫化水素が発生。周囲への悪臭や不安感を招き、地域住民からのクレームが相次ぎます。この出来事を通じて、江本氏は「企業イメージは一瞬で崩れる」という現実を突きつけられます。

問題のあった産廃処分場には、硫化水素の発生を防ぐために1億円もの対策費を投入。原因の根本解決と再発防止に全力で取り組みました。

しかし、ただ問題を解決するだけでは信頼は回復しない。
江本氏はここで、「イメージ戦略」という新たな挑戦に踏み出します。
悪化した企業イメージを自らの手で変えていく——その覚悟が、次なるステージの幕開けとなったのです。

 

(イメージ課題は、業界全体の負の遺産)

廃棄物処理業界は、昭和46年に「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃掃法)」が制定されて以降、制度が未整備な“過渡期”を経験します。
当時は法の運用や監視体制が甘く、不法投棄や処分場の放棄といった無責任な行為が横行。その結果、地域住民の信頼は大きく損なわれ、「産廃業者=悪徳業者」という負のイメージが全国に広がっていきました。

その象徴ともいえるのが、香川県の豊島事件や、千葉・埼玉での大規模な産廃訴訟
こうした事件が報道されるたびに、業界全体が悪者のように見なされる——それが、現在もなお続く構造的な課題です。

江本氏は、この“業界が背負う過去”を直視し、そこに立ち向かう覚悟を持って、企業としての信頼回復と新しいイメージの創造に挑んでいきます。

 

■ 江本流「イメージ戦略」=“信頼獲得”

かつて“悪徳業者”と見なされた産廃業界。その中で会社の再建とともに、「地域の信頼を取り戻す」という壮大なテーマに挑んだのが、江本勝典氏の「イメージ戦略」です。

江本氏にとって、イメージ戦略とはプロモーションでも広告でもありません。
「イメージは、積み重ねた行動でしか変えられない」
この信念のもと、地域に誠意を伝える“実践”を積み重ねてきました。

 

◎ 第一弾(2019年):「クリスマス花火大会」

2019年12月24日。
岩見沢の夜空に20分間の花火が打ち上がります。
主催したのは「処分場の会社」。それまで地域住民にとって無縁だった企業が、笑顔を届ける存在として話題になりました。

「誰かに“喜ばれること”を、まず自分たちからやってみよう」
この花火が、江本氏のイメージ戦略の幕開けでした。

 

◎ 第二弾(2020年):オリジナルキャラクター制作、「E-Defender」の誕生!

次に取り組んだのが、会社のイメージを象徴するキャラクターの制作。
当初は札幌や東京のプロに依頼する案もありましたが、江本氏が選んだのは地元の障がい者支援施設に通う、絵の得意な女性の作品でした。

「完成度ではなく、“誰が描いたか”に意味がある」
「地元の力を信じることこそが、本物のブランディング」という信念から、この選択に至りました。

そのキャラクターは、「E-Defender」です。ご存知の方も多いのではないでしょうか?

ES CON FIELDの壁面にも掲載されているキャラクターです
野球観戦に訪れた方は、すでにその姿を目にしているかもしれません。

E-Defenderは、「地域を守る」「未来を守る」というメッセージを込めて誕生した存在。
「まめフェス」や「さっぽろ雪まつり」などのイベントに登場し、あえて“そらまめカンパニー”の名を背負わず、子どもたちの前に立ち続けています。

江本氏はこう言います。

「そのうち、“E-Defenderってそらまめカンパニーのキャラだったの?”と驚かれる日が来る。それでいい。」

キャラクターを通じて伝えたいのは、企業の宣伝ではなく、“信頼の在り方”そのもの。
だからこそ、プロモーション色を抑え、地域に自然と溶け込む形で活動の場を広げているのです。

 

■ 「E-Defender」の魅力をもっと知りたい方へ

公式サイトでは、E-Defenderのキャラクター紹介、地域イベントでの活躍記録などを詳しくご覧いただけます。
子どもたちへの教育や環境保護に向き合うその姿に、きっと共感が生まれるはずです。

🔗 E-Defender公式サイト
👉 https://www.e-defender-soramame.com

 

■ 社会課題に寄り添う“ヒーロー”として

E-Defenderは単なるマスコットではありません。
産廃業界が抱える負のイメージ、地域との信頼構築、障がい者との共創といった社会課題に真正面から向き合う、“象徴的なヒーロー”なのです。

SDGsの視点からも、「誰一人取り残さない社会づくり」や「住み続けられるまちづくり」に直結する活動として、注目が高まっています。

https://www.e-defender-soramame.com/work/

 

◎ 第三弾(2020年〜):「そらフェス」→「まめフェス」などの地域イベント

2020年、コロナ禍の緊急事態宣言が発出され、全国でイベントの中止が相次ぐなか、江本氏は真逆の決断を下します。

「これはチャンスだ」
外出も行事も制限された子どもたちに、記憶に残る1日を届けたい——その思いから「そらフェス」を開催。芸能人にも直接オファーをかけ、次々と出演が決定しました。

開催されたイベントでは感染者ゼロを達成。感謝の手紙は200通以上にのぼり、その年のうちに2回目・3回目も実施。年末には市内2ヶ所同時の花火大会も開催しました。

2025年7月25日〜27日に、「まめフェス7」が開催されます!

“2025年7月25日~27日に岩見沢駅前で開催される「まめフェス7」のスケジュールが決まりました!豪華アーティストが今年も岩見沢に勢ぞろいです。リアルピースの皆さん・小島よしおさん、荒牧陽子さん、テツ&トモさん、遠藤正明さん、きただにひろしさん、影山ヒロノブさん、ふみさん、浅井未歩さん、アニソンディスコの皆さん。今年も3日間盛大に開催されるまめフェス7に是非皆さんご期待ください”

https://www.e-defender-soramame.com/416/

 

◎ “喧嘩しない”という選択:「まめフェス」誕生秘話

人気イベント「そらフェス」の知名度が上がる中、他社が同名を使用するという事態が発生。
弁護士を通じて法的対抗も可能な状況でしたが、江本氏はあえて**“戦わない”道**を選びます。

「第5回記念!ネーミング変更募集」という形で逆手に取り、住民参加型の前向きなキャンペーンへと昇華。結果、新たな名称「まめフェス」が誕生し、商標登録も完了。
その柔軟な対応により、後に海外自動車メーカー(ランドローバー)からも商標使用許可を求められるという出来事につながりました。

江本氏は語ります。

「もしあのとき喧嘩していたら、“Eディフェンダー”という名前をうちが使えなかった。」

クレームも、苦情も、次のチャンスに変える。
一瞬ムッとするようなことも、「次のステップへの素材」にできる。それが江本流の経営哲学。
「災い転じて福となす」「人間万事塞翁が馬」——古今東西の格言にも通じる、しなやかな戦略です。

 

◎ 体験の開放と社会との接点づくり

江本氏は地域に対し、徹底的に開かれた姿勢を貫いています。

小中高校生や障がい者施設の利用者、市町村職員など、あらゆる層に向けて工場見学・体験学習を積極的に受け入れ
イベント出展も「まめフェス」「さっぽろ雪まつり」「赤れんがフェスタ」など多岐にわたり、地域の中で企業の姿を“見える化”しています。

 

◎ “社長というキャラ”は、唯一無二の武器

江本氏のもう一つの強みは、他の誰にも真似できない“社長=キャラクター”という存在そのものです。

新庄剛志氏のフル装備コスプレ、フランス製の衣装、53万円のネックレス。筋トレで身体まで作り上げる徹底ぶりです。
別のイベントでは、キャラクター「空豆男」としてイベントに登場。その姿は一見“ふざけている”ようにも見えますが、すべては地域との信頼構築と、社会的偏見を打ち破るための戦略です。

「社長が面白くなければ、会社は面白くない」
江本氏の発信は、CMやテレビ番組、地域イベントにも広がり、今や産廃業界の“常識”をひっくり返す象徴的存在になっています。

江本氏は、テレビ出演、CM、地域イベントのみならず、球場イベントにも積極的に登場。
会社の名前を前面に出すのではなく、自分自身が「企業イメージの広告塔」として立ち続けることで、地域とのつながりと好感を築いています。

 

■ 江本氏の“イメージ戦略”の本質

江本氏の語る「イメージ戦略」とは、
“どう見せるか”ではなく、“どう在るか”の問いです。

プロに任せるのではなく、信頼される人・活動・表現、「印象に残る面白さ」にこだわり抜く
過去に起きた経営危機、業界への不信、そして地域との断絶——それらを乗り越える原動力となったのは、「覚悟」「誠意」「実践」の姿勢そのものでした。

「1億でも2億でも出す」と背中を押してくれた人たちへの恩返しとして、
そして、子どもたちに誇れる会社をつくるために——
江本氏の“イメージ戦略”は、今もなお、進化し続けています。

 

■ 今後の展望:「岩見沢五大まつり超え」

講演の終盤、江本勝典氏はこう語りました。
「岩見沢の五大まつりを超える“まめフェス”にしたい」

この言葉に込められていたのは、単なるイベントの規模拡大ではありません。
そこにあったのは、“地域の子どもたちの笑顔があふれる、風景そのものをつくりたい”という未来像。
“商業イベント”を超えた、“まちの文化”への挑戦です。

江本氏が実践してきたイメージ戦略とは、着飾ることでも取り繕うことでもありません。
「本気で信じたことを、行動で見せる」
それが、地域の信頼を得る唯一の道であると、90分間にわたって語られました。

「地域の子どもたちに、心からの笑顔を届けたい」
江本勝典氏の挑戦は、これからも続きます。
そして、岩見沢の“まめフェス”は、きっと未来を照らす希望の象徴となるでしょう。

 

謝辞

第12回はとなびでは、そらまめカンパニー代表取締役の江本氏に、イメージ戦略について詳しくお話しいただきました。

本気で信じたことを行動で示すことの大切さを学ばせていただき、特に「地域の子どもたちに笑顔を届けたい」という言葉が印象的で、その信念に大変感銘を受けました。

また、地域社会との信頼関係は、積み重ねた“誠意ある行動”によって築かれるということを、数々の実践例とともにお伝えくださいました。

改めまして、このたび鳩が丘歯科クリニックの “はとなび” にご協力いただき、
また、貴重なご講演をいただいた江本勝典氏に、心より深く感謝申し上げます。

今後とも、地域に根ざした価値ある発信と学びの場づくりを進めるパートナーとして、宜しくお願い申し上げます。


鳩が丘歯科クリニック

〒068-0828 北海道岩見沢市鳩が丘3-1-7
中央バス「幌向線」「緑が丘・鉄北循環線」岩見沢バスターミナルで乗車
「岩見沢市役所前」で下車。バス停から徒歩5分です。

https://www.hatogaoka-dc.jp/

まずはお気軽にご相談下さい。

TOP