第14回はとなび「なぞなぞ人生となぜなぜ人生」
2025/10/30
"はとなび" とは?https://hatogaoka-dc.jp/はとなび
講師紹介
ご多忙の中、第14回「はとなび」の講師をお引き受けくださったのは、株式会社イザナ代表取締役の 川原悟氏 です。
川原氏は、“なぞなぞ人生となぜなぜ人生”をテーマに、自身のこれまでの歩みを振り返りながら、ビジネスの根底にある「問い」と「探求」の大切さについて語ってくださいました。
屋根工事業からスタートし、現在では建設・福祉・飲食など幅広い分野へと事業を拡げ、岩見沢という地域に新しい価値を生み出し続けている川原氏。
「なぜ岩見沢で挑戦を続けるのか」という問いを通じて、会社経営から人生観までを縦横に語られました。
医療をはじめ、あらゆる仕事に通じるヒントと気づきに満ちた内容で、参加者とのディスカッションも交えながら、笑いと学びのあふれる講演となりました。
この記事では、その講演の一部をご紹介します。
1. 導入とテーマ設定
講演のはじめに、川原氏は「今日はこのような場を用意してくださって、本当にありがとうございます」と穏やかな笑顔で感謝を述べられました。
会場の空気が少し和らいだところで、「今日は、自分がこれまで歩んできた中で、いま大切にしていることを3つ、お話ししたいと思います」と語り始められました。
一つ目は、日本の伝統や文化を学び直し、それを次の世代に伝えていくこと。
「日本人として生まれてきた意味を、もう一度見つめ直したいんです」と川原氏は静かに話されました。
二つ目は、生まれ育った岩見沢というまちに根を張り、この土地で健康産業をつくること。
「岩見沢を拠点にするのは挑戦です。でも、地元に恩返しをしたい。その気持ちが自分を動かしています」と続けられました。
そして三つ目は、与えられた命を、未来と子どもたちのために使うこと。
「自分のために頑張る時期は過ぎました。これからは、どう未来に手渡せるかを考える時間にしたい」と、優しい口調で語られました。
2. 自己紹介と“人生曲線”
川原氏は1976年生まれで、三人の娘の父でもあります。かつてはバイクに乗ることが趣味でしたが、現在は「見る」ことにも楽しみを感じていると話されました。
仕事は、建設・板金・鉄骨・福祉・インドネシア人材の受け入れ・健康関連など、複数の分野にわたって事業を展開しております。
講演では、ご自身のモチベーションの変化を折れ線グラフのようなスライドを使いながら、人生の流れを振り返られました。
幼少期は充実した日々を過ごしていたものの、中学時代には体罰的な指導で自由を奪われた感覚があり、気持ちが落ち込んだといいます。
高校で回復しながらも、卒業時には「自分には何もない」と感じて挫折。その後、バイクレースへの情熱によって再び上昇し、24歳で全日本選手権に参戦しました。
しかし、引退と父の死をきっかけに大きな転機を迎え、離婚の危機などを経験されたそうです。
その後、仕事の信用を取り戻し、家族との関係を修復しながら次第に人生の振れ幅が安定してきたと語られました。
近年は耐久レースで優勝するなど、挑戦を続けながらも落ち着いた充実期を迎えているといいます。
最後に川原氏は、未来年表に描いた「48歳で“大王”」「60歳で“神主”」「80歳で“天宮”」といった表現を紹介しながら、ユーモアを交えて自身の未来像を語られました。
そして「与えられた命をどう使うか」という問いを胸に、これからも探求を続けていくと締めくくられました。
3. 食と健康への気づきが事業へ
川原氏が健康に目を向けるきっかけとなったのは、現場作業中に突然起きた心臓の痛みや頭痛、そして頸椎ヘルニアによる激しい痛みだったといいます。
病院で検査を受けても大きな異常は見つからず、原因が分からない不調が続いたことから、食生活を見直すことを決意されたそうです。
まず取り組んだのは、コンビニ中心の食事からの脱却でした。添加物をできる限り避けるようにし、素材の味を大切にする食事へと切り替えたところ、体調に明らかな変化を感じたといいます。
「体が軽くなり、痛みが少しずつ引いていくのを実感した」と語り、この経験がのちに健康事業への関心を深める大きな契機になったと振り返られました。
そうした実感をもとに出会った素材を改良し、飲みやすく仕上げたのが「笹茶」です。
製品化の過程では、マーケティングの難しさを痛感し、自らの学びのために「通販版 令和の虎」への出演にも挑戦されたと話されました。
番組での辛口の意見も真摯に受け止め、パッケージや訴求方法の改善に反映させた結果、初回製造分の売り切りを達成しています。
現在は新しいロットの準備を進めていると説明されました。
川原氏は、食を選ぶ基準について「体が“おいしい”と感じるかどうか」という感覚を大切にしているといいます。
食品表示や原材料を確認する習慣を持ち、肉や小麦、乳製品の摂取も意図的に控えているそうです。
これは単なる体重管理ではなく、日本人の体質や歴史的な食文化への関心から、自らの体を使って確かめていく実践の一つだと語られました。
体調の変化を通して得た気づきを行動に移し、それを新たな事業へとつなげていく――。
川原氏の話には、「学びを自分の体で確かめながら前に進む」という一貫した姿勢が感じられました。
4. なぜ岩見沢なのか:地元に根差す理由
川原氏は、事業の拠点を札幌などの都市部へ移すことを勧められることもあるそうですが、それでも岩見沢にとどまる理由を静かに語られました。
幼い頃に川や公園で遊んだ思い出、このまちで育った子どもたちの学校や友人関係、そして何よりも「地元に恩返しをしたい」という気持ち――。
そうした原体験と想いが、今も川原氏の活動の根っこにあるといいます。
現在、健康関連事業に加え、屋根や壁の板金、鉄骨、砂川での板金、福祉サービス、インドネシアからの人材受け入れなど、幅広い仕事に取り組んでおられます。
そのいずれもが、地域の人々や暮らしと密接につながっており、「地域の中で仕事を生み出すことが、これからの自分の使命」と話されました。
また、岩見沢市内での仕事の比率はまだ高くないとしながらも、「これからは地域と一緒に産業をつくるという視点を大切にしたい」と述べられました。
自らの経験と行動を通じて、地域が元気になる仕組みを少しずつ形にしていく。
その言葉には、岩見沢というまちと共に歩もうとする、確かな決意が込められていました。
5. 働く理由の変遷
川原氏は、「なぜ働くのか」という問いを、自身のこれまでの歩みを重ねながら、年代ごとに振り返ってくださいました。
その語り口には、どの時代にもその時なりの正直な思いと背景があり、聴く人それぞれの人生にも重なるものがありました。
10代は、バイクが欲しかったから働いた。
20代は、レースで勝ちたかったから働いた。
30代は、家族と自分の幸福のために働いた(そのためにはお金が必要だった)。
40代になると、社会や歴史の一部として「与えられたものを返す」段階に入り、納税や雇用を通じて社会へ貢献する意識が芽生えたと語られました。
50代では、地域や日本の最前線で、自分の命を社会のために投じていく段階へ。
60代では、より多くの人に与えることを、先延ばしにせず実践していきたいと考えているそうです。
70代では、岩見沢を、人が集い、つながりが生まれる場所にし、それを遺していく。
そして80代では、感謝の気持ちを伝えながら、ゆっくりと手放していく。
最後に川原氏は、「元気に起き、たくさん『ありがとう』を言って、眠るように逝く」という理想の最期を描かれました。
働くという営みを、欲や成功だけでなく、「命の使い方」として見つめ直す姿勢が印象的でした。
年齢を重ねるごとにその使命感は深まり、人生そのものが“恩返し”の連続であることを静かに伝えるお話でした。
6. 人生観:自選出生説/関係資本
川原氏は、「自分で親と環境を選んで生まれてきた」という“自選出生説”に共感していると語られました。
父親の死をきっかけに、他人や環境のせいにする生き方をやめようと決めたといいます。
その心の変化を、少年漫画『ドラゴンボール』のように「倒れても再び立ち上がる瞬間」に重ね、そこに人生の再出発があったと振り返られました。
さらに、人との関わり方について「二師三兄五友五弟(にし・さんけい・ごゆう・ごてい)」という考え方を紹介されました。
二人の師、三人の兄貴、五人の友、五人の弟――。
人生を支えてくれる人、導いてくれる人、刺激を与えてくれる人、そして自分が導く人。
そうした関係を意識的に築いていくことが、豊かな人生をつくるうえで欠かせないと語られました。
インドネシアから来た若者や、共に働く職人たちとの関わりを例に挙げながら、弟分には「与える」「育てる」姿勢で向き合うことの大切さをお話しくださいました。
7. 学びの源泉:日本思想・個性心理学・構造科学・断食の師
川原氏の学びの源泉は、多方面に広がっています。
まず、松下政経塾の師からは「志」と「作法」を学び、「いただきます」「ごちそうさま」といった日常の言葉に込められた意味を、日本の歴史や礼の文化として学び直していると話されました。
また、個性心理学や血液型といった統計的な視点を、性格を決めつけるものではなく「傾向を知るための道具」として活用していると説明されました。
その知見を、スタッフの配置やチームのコミュニケーション改善にも役立てているそうです。
さらに、行動科学研究所から学んだのは、「変容(トランスフォーメーション/トランスミューテーション)」という考え方でした。
卵が蝶になるように、形が変わるためには「ぐちゃぐちゃの期間」を経る必要がある――。
変化の過程で起こる混乱や停滞を「必要な通過点」として受け止める視点を得たといいます。
また、断食家や思想家の教えにも影響を受け、現在も肉・小麦・乳を控える食生活を続けていると話されました。
これらは単なる思想や信条としてではなく、「自分の体を使って確かめ、学びとして体得する」姿勢で実践していると語られました。
川原氏の学びには、理論や知識にとどまらず、実際の生活の中で確かめながら深めていく一貫した姿勢が感じられました。
8. なぜ“日本人”であり、なぜ“ここ”なのか
川原氏は、日本人としての自分をもう一度見つめ直すために、神社と寺の違いを改めて学び直していると話されました。
海外で暮らす娘さんにも、日本の文化や考え方を伝えるために書籍や知恵を手渡しており、文化の継承を日常の中で意識しているといいます。
一方で、人口減少や高齢化、労働人口の縮小といった社会の現実も率直に受け止めておられました。
時には、社会の行く末を見据えた思考実験として、少し過激な提案を頭の中で巡らせることもあると語られましたが、最終的にはいつも「地域から産業と健康をつくる」という足元の実践に立ち返ると述べられました。
また、無意識の限界を超えるための例として、「蓋を外しても高く跳べないノミ」や「鎖が外れても逃げない象」の話を紹介されました。
人は環境や思い込みの中で、自分の可能性に蓋をしてしまうことがある。
その殻を破るには、新しい視点や挑戦が必要だと強調されました。
そして最後に、「蝶の羽ばたき(バタフライ・エフェクト)」のように、小さな行動の積み重ねがやがて大きな変化を生み出すことを信じていると話されました。
地域の中でできる小さな実践を続けることで、社会全体を少しずつ動かしていく――。
その言葉には、川原氏が大切にしている「日本人として、ここで生きる意味」が静かに込められていました。
9. ディスカッション:参加者の声と合意点
講演の中では、三度にわたってグループ・ディスカッションが行われました。
参加者それぞれが自分の経験や考えをもとに意見を交わし、次のような論点が共有されました。
1.私・会社のビジョン
最初のテーマは「私、そして会社のビジョン」でした。
誰を、どんなサービスで、どのように支えていくのか――。
それぞれの立場で目的を言語化し、仕事の原点を見つめ直す時間となりました。
「仕事を通じて誰を幸せにしたいのか」「地域にどんな価値を残せるのか」という問いが、各グループで深く掘り下げられました。
2.岩見沢という地域について
(1)地域が求めるもの
ディスカッションではまず、岩見沢というまちがこれからどのような環境を求めているのかが話し合われました。
挙げられたのは、「暮らしやすさ」「年を重ねても安心して住める環境」「雪対策や移動のしやすさ」「若者が楽しめる仕事や居場所」「医療・福祉の身近さ」など、生活の質を高める具体的な要素でした。
また、雪や農業といった地域資源を活かし、世代を超えて参加できる体験型イベントを通じて地域の魅力を再発見したいという声も上がりました。
(2)地域の強み
次に、岩見沢の持つ強みについて意見が交わされました。
「都市としての程よい規模感」「人と人との距離の近さ」「助け合いの空気」「情報共有の速さ」「顔の見える関係性」など、地域の“小ささ”を活かしたつながりの力が共通の強みとして確認されました。
このような互助の文化や迅速な情報伝達こそが、地域の可能性を広げる推進力になるという認識が共有されました。
(3)地域をどう導くか
「導く」とは、誰かが上から方向を示すことではなく、地域の人々がそれぞれの立場から小さな行動を積み重ねていくことだ――という点で意見が一致しました。
行政や企業、個人がそれぞれの強みを持ち寄り、協働できる“場”や“仕組み”を整えることが、岩見沢の発展につながるという考えです。
その実装のイメージとして、「イベントや教育を通じた若者との接点づくり」「高齢者や子育て世代が安心して関われるコミュニティの整備」など、分野横断的な提案が出されました。
また、地域資源を活かした産業や観光の連携を進め、「自分たちのまちを自分たちで支える」自走的な構造を築くことの重要性も共有されました。
最終的には、「そこそこ便利で、そこそこ楽しく、そこそこカッコいい」まち――という、背伸びしすぎず、現実的で続けられる岩見沢像が合意としてまとめられました。
過度な理想を掲げるよりも、“今できることを積み重ねる”姿勢が、このまちを前に進める力になるという実感が、会場全体に広がりました。
3.市民の健康観・未病予防・生活習慣改善をどう進めるか
最後のテーマでは、医療や行政の啓発活動だけではなく、市民同士の関わりや約束が行動変容のきっかけになるという視点が共有されました。
同窓会や地域のコミュニティなど、身近なつながりの中で「健康でいよう」と互いに声をかけ合える文化が、最も持続的な健康づくりにつながるのではないか――。
川原氏は、こうした対話そのものが「生活習慣を自分で選ぶ力」を育てる土壌になると評価されました。
一人ひとりが主体的に健康を考え、支え合う地域社会をつくるための第一歩として、このディスカッションを位置づけておられました。
健康づくりは我慢や努力だけでは続かない、という意見がみられました。
「親しい友人との再会」など、楽しさや目的のあるきっかけづくりが第一歩になるという意見が多く、また、データを使った見える化によって自分ごととして捉えやすくすることが大切だと話し合われました。
さらに、「良いこと」だけでなく、「放置した場合のリスク」もきちんと伝える誠実さが重要だという指摘もありました。
歯科領域においても、「痛みをきっかけに来院 → 定期検診へとつなげる」流れを設計することが重要であるとの意見が共有され、対話と伴走によって継続を支える仕組みの必要性が確認されました。
10. 最後に
川原氏は、今回の場を用意いただいたことへの感謝をあらためて述べられました。
参加者の方々の言葉を直接聞き、多くの気づきを得てメモを取りながら学びを深められたこと、そして新たにご縁がつながった皆さんと共に岩見沢をより良くしていきたいと強く感じていることを語られました。
最後に、関係者と参加者への御礼を丁寧に述べられ、温かな拍手の中で講演を締めくくられました。
謝辞
第14回はとなびでは、株式会社イザナ代表の川原氏にご登壇いただき、「日本の伝統・文化の学び直しと継承」、「岩見沢に根差した健康産業づくり」、そして「与えられた命を未来と子どもたちのために使う」という三つの主題について、具体の歩みと実践を交えてお話しくださいました。とりわけ、「今を生きる力は問いを持ち続けることに宿る」という視点は、私たちが日々の選択を見直し、地域から産業と健康を生み出していくうえでの強い指針となりました。
また、三度のグループディスカッションを通じて、岩見沢の強みや課題、実装の糸口について共有が進み、現実的な第一歩を参加者間で確認できたことは大変有意義でした。結びに示された「準備と継続」、そして小さな羽ばたきを重ねる姿勢は、今後の協働に向けて心強い励ましとなりました。
ここに、貴重な知見と学びの機会をご提供くださった川原氏に深く感謝申し上げるとともに、地域に根ざした価値創造のパートナーとして、引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

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